12月、新宿ミラノ座LAST SHOWで観た「アラビアのロレンス」、幼い頃に観た記憶はあるのだけど、インターミッションを挟んでたっぷり4時間、男ばかり出てくる戦争映画に幼い自分が耐えられたのか疑問。支配人からの紹介は、大スクリーンのミラノ座ならではの映画、とのこと。ミラノ座、上映前にドレープたっぷりの幕がいったん降りるのが素敵。あれは緞帳とは呼ばないと思うのだけど、何と呼ぶのだろう。
遠い記憶の中で戦争ヒーローもの。と認識していたから、こんな機会がなければ再見しなかったのだけど、ロレンス、そんな解りやすい男ではなく、4時間彼を眺め続けても、こういうキャラクターの人です。と簡単に説明するのが難しい。だいたいの戦争映画のヒーローは大義のために働き、終わってみると大義とは何ぞや。というほろ苦さを残す描き方が多いけど、ロレンス、大義のために働くようにも見えない。大国主義への嫌悪感がそのままアラビア勢の統率に繋がる強い動機付けになっているようにも思えないし、豪華な衣装を贈られてはしゃぐさまは、喜びというより彼の不思議っぷりを表してるようで異様に思えた。戦意を削がれるきっかけになったエピソードも、確かにショックではあるだろうけど戦時下、まったく起こらないとも思えず、しかし彼にとっては大きな転換点になったことは確かなようで…。でも、バリバリの軍人気質ではない人が、映画としては物語の中心にいて、史実としては戦果を残したというのが、映画の素材としては興味深くて、だから永く人気のある映画のなのだろうな。4時間退屈しなかった。
退屈しなかった理由はもちろん映像によるところも大きく、砂を描いた映画ってもう、大量の砂の動きを眺めてるだけでじゅうぶん。「砂の女」しかり。隊列から脱落した男をロレンスが救済しに引き返す場面は、砂漠の中でも特に熱さで危険なエリアとして描かれており、地表からの熱が陽炎のように揺らめく様子も映ってて、観ているだけで喉が渇き、画面をポカリスエットで潤したくなる。たくさん登場するラクダもさすがに大画面では迫力あるサイズで、ラクダ、顔は穏やかでかわいいけど、後ろから撮られた歩いてるさまは、歩くときの重心のかけ方なのか、モンローウォークみたい、セクシーな女性みたいだった。
撮影の合間、ラクダと戯れるピーター・オトゥール…cute!(ラクダが)
ロレンスのモデル、T.E.Lawrence、ピーター・オトゥールは実物に似ていると思う…
映画の開始前、インターミッション、終了後に黒画面で音楽が流れ続けるつくりは「風と共に去りぬ」も同様だったけど、これはサイレント映画時代の上映形態(劇場に演奏部隊がいて、映画開始前・上映中・上映後ずっと音楽を演奏し続けている)の名残りだと読んだのけど、「風と共に去りぬ」は30年代の映画だから名残りとしても理解できるけど、「アラビアのロレンス」は60年代の映画なのに、クラシックなつくりをしているのがちょっと不思議。何か意図があるのかな。あの黒画面、大作映画を観るぞ!観たぞ!というウォーミングアップ&クールダウンのようでもあり、黒画面に挟まれた本篇は、たとえ史実に基づいていたとしても創りものです。と言ってるようにも思えて、私は好き。そう考えるとミラノ座の、上映後前に降りる幕も、これからショーが始まる。という区切りみたいな役目に思える。
「風と共に去りぬ」をスクリーンで観た時も思ったけれど、集中力が高くない私は、長時間の大作はスクリーンでしか最後まで観られない。ミラノ座の大画面、ありがとう。