CINEMA STUDIO28

2015-02-16

Adieu au langage


 
 
 
シネスイッチ銀座で。頻繁に行かない映画館だから普段はどうか知らないけど、私が知る史上最も混雑していた。ゴダールの新作も、「おみおくりの作法」という映画も満席続き。東京の映画館はどんどん閉館していくのに、私が行く映画館は混んでいることが多くて、映画館の未来は実は明るいのでは?と錯覚する。
 
 
「ゴダール」の「新作」を、「3Dメガネ」かけて満席の客席で観ることの、もぞもぞした違和感、笑っちゃう。こんな日が来るなんて・・。そして3D。これまで印象に残った3Dを思い出してみると・・
 
 
「華麗なるギャツビー」
3Dである必要がどこに?と思った映画大賞。禍々しいパーティーをよほど立体的に見せたかったのだろうか・・
 
 
「ゼロ・グラヴィティ」 
3Dで観ないと意味がない大賞。この映画の魅力の80%は、3Dかつ映画館の音響で観ることにあると思う。映画好きの間では、宇宙空間を漂う体感を上げたくて、どの映画館で観るのが一番いいか、という話になり、ともあれIMAXが最高!という結論に達していた。タブレットとかで観て物語が貧弱だとか言うのは映画に失礼というもの。
 
 
観てないのだけど「STAND BY ME ドラえもん」
美容室で髪を切ってもらいながら、ドラえもんで3Dってどうなのかしら。という話をしたら、美容師さんが観てきたらしくちょっとマリコさん、ドラえもん3Dなめてるんですか?言っておきますけど、めっちゃ丸いです。と言われたので、めっちゃ丸いのか・・・観たい・・と今でも思ってる。

 

 

 
 
 
 
ゴダール新作「さらば、愛の言葉よ」(Adieu au langage / Jean Luc Godard /2014)、冒頭、ADIEUの赤が明滅して飛び出してきていきなり興奮。これまで大がかりで非現実的なアクションの観客に、アトラクション的な体感をもたらすために使われることが多かった3D、ゴダールだったらこう使うのではというシミュレーションをいくつかしていき、予想は大きく裏切られなかった。右目だけで/左目だけで観た時、違う映像が映るあの仕掛け、片目ずつばちばち閉じたり、両目で重なりを観たり、そんなこと映画館でしたのは初めて。そうか、3Dって確かにそういう仕組みだった。
 
 
 
 
 
物語は人妻と独身の男の不倫、そして犬(ゴダールの飼い犬!)が一応中心にあり、膨大なイメージと音響が物語に伴走したりしなかったりで差し込まれる。過去の映画を観ていて思うのは、女の身体の扱い方が雑だな、ということばかりで、女が男に適当な手つきで身体をつかまれるシーンは「女と男のいる舗道」ラストのアンナ・カリーナみたいだったし、バスルームの場面は「軽蔑」を思い出したりもして、芯の部分はまるで変わっていないように思えた。愛だの何だのの語り口が、カメラのあちら側から被写体を捉えてぶつぶつ、愛とは・・・など、非接触状態で一人ごちてる遥かな距離感、老境に達しても変わらないのだな。人間がみんな窓際に放置され半分枯れた植物のように見えて、犬だけが活き活きとした生をもった存在として画面を動き回っていた。そしてベートーヴェン交響曲第7番は映画館でよく聴くクラシックナンバーワン。ホン・サンスの映画でネタのようによく出てくるから、流れてきた瞬間、笑ってしまった。映像との相性がいい交響曲なのかな・・。
 
 
 
 
 
 
物語より、3Dということに意味があるのだろう。新しいオモチャをいじる男の子の荒々しい手つき。69分という時間は、面白いけど「体験」だけにこれ以上は辛い。という限界点だったけど、ゴダール本人の老いもあるのかな・・・と邪推。オリヴェイラ(106歳)も徐々に映画が短くなってきているものね。80代も半ばにさしかかったゴダールが、どこまでも自分の手法で自分の映画を更新したことに、純粋に感動した。トリュフォーなんてとっくに亡くなって、あの人は素敵な人でしたね・・・って懐かしむことしかできない。生き続けて撮り続けることのしぶとい重み。次回作も、今から楽しみにしてる。