キネカ大森で。2本立て、「365日のシンプルライフ」の併映は「クイーン・オブ・ヴェルサイユ」!公開されていた時、絶対観に行こう!と思っていたのに見逃したから嬉しい。そしてこの2本立ての絶妙さ!
「クイーン・オブ・ヴェルサイユ」はアメリカのドキュメンタリー。全米各地にあるリゾートマンションを通年で購入するのではなく、限られた時期だけ使える権利を購入するタイムシェアビジネスで成功した男と、その3度目の妻。妻はかなり年下で、元ミセスフロリダ、まさにトロフィーワイフ!という風貌。8人の子供と、たくさんの動物と豪邸に暮らしているけど、夫妻は法外に豪華な家を建てようとしていて…というところに密着。
ヴェルサイユ宮殿に感激した夫妻が、私たちも欲しいよね、ヴェルサイユ?と建設計画を着々と進める。あれもこれも。スパ、映画館、ボウリング場…と欲望のすべてを諦める理由もなく盛り込んでいくと、アメリカで最大の家になりそう。ビル・ゲイツの家よりもホワイトハウスよりも広くなる予定。ヴェルサイユの再現なのだから、調度品もフランスのアンティークを買い漁り、完成までの間は倉庫に入れてある。
これだけでも十分に面白いのだけど、現実は想像の斜め上をいくドラマティックさで、ヴェルサイユの工事を進める中、リーマンショックが起こり、サブプライムローンが拠り所だった夫のビジネスは破綻の危機に。従業員たちは解雇され、ラスヴェガスに建てた派手な自社ビルも差し押さえられる。何人もいたメイドは数が絞られ、家の中が荒れていく。そんな映画を撮るつもりはなかったのに、後半からの急転直下がこの映画を皮肉にも面白いものにしてしまった。
桁外れな富裕層の気持ちはきっと、自分が桁外れの富裕層にならない限りわからないのだな。そういった人たちの家には、ごちゃっとモノが溢れ、金や細工で装飾性の高いモノが多く、世の中にはいろんな趣味嗜好の人がいるのに、彼らの趣味嗜好がだいたい一致していくのは何故だろうと思っていた。この夫妻が建てようとしている現代のヴェルサイユなんてその極みにあるのだけど、夫の言うように、何故建てるかって?僕にはそれができるからだよ!というシンプル極まりない理由こそ真理なのだろうな。ヴェルサイユ?→いいわね→欲しいわ→作ろう。と、思考のステップがシンプルで明快な人たち。
夫婦ともに裕福な育ちではなく、完全な叩き上げで資産を手に入れた人たちで、夫のほうは資産が目減りしていくのに比例してみるみる生気を失っていくわかりやすさを発揮するのに対し、妻のキャラクターが興味深い。金の切れ目が縁の切れ目と言わんばかりに夫を捨てるのかと思いきや、絶対に別れない、私たちが別れるのは私が死ぬ時よ!と、メイドの数が減り、世話の手がまわらなくなってペットのトカゲや魚が死んでも、ふかふかのカーペットが犬の糞まみれになっても、妻の態度に変化なし。クリスマスになると子供たちのプレゼントをカートいっぱいに買ってしまう。ただし高級百貨店ではなくウォルマートで!ツッコミどころは山ほどあるけど、映画が終わる頃には、あの奥さんのこと、私はとても好きになっていた。夫と結婚したのは結婚してくれと言われたから。その時は私には愛はなかったけど、そう言われたから結婚した。若い頃、女性がまともに働こうとすると勤め先は地元じゃIBMしかなかったから、どうせならエンジニアになろうと思って大学の理系の学科を優秀な成績で卒業。その後、モデルになったりウェイトレスになったり結婚して離婚したり、相当に浮き沈みの激しい人生を、与えられた場所で綺麗に咲くことを目指して生きてきた、身体能力の高い動物みたいな人なのだ。
細い体に明らかに人工的な大きな胸。夫は辛辣で、40歳になった妻に「20歳の女ふたりと取り替えるぞ」と言い放つ。 彼女のことを「かつて若くて美しかった女」としてだけではなく、賢い中身も見抜いて愛してくれる人が他にいるのでは…と思いもするのだけど、そんなこと思ってもみなさそうなところが、この奥さんの面白いところ。
ビジネスの回復の兆しも見えないまま、映画は切ない終わり方だったけど、現実の時間は続いており、夫のビジネスは復調し、買い手がつかないまま売りに出されていたヴェルサイユも、夫婦は改めて建築計画を前に進め、2015年…今年には完成予定なのだという。上昇も転落も桁外れだけど、それを耐えうる人たちに富は集まるのだな。逞しい…。
「365日のシンプルライフ」とこの映画の組み合わせ、人とモノとは。消費生活とは。という問いかけの組み合わせだったけど、使い切れないほどのモノに囲まれたヴェルサイユの人々より、何もない部屋で格闘する北欧の青年のほうが、モノへの執着度は高いのではないかしら。ヴェルサイユの人々、私は買う、そこにモノがあるからだ。っていう態度で、モノのこと、ちゃんと見てる印象はなかったし。