去年のフランス映画祭には連日通ってたくさん観たけれど、一番良かったな。と思ったドキュメンタリー「バベルの学校」が、東京で公開開始。思いだしつつメモ。観てから時間が経ってるので、もう一度観られたらいいのだけど。
フランスにいくつもある「Classe d'accueil 」という適応学級は、フランス語を母国語としない生徒たちが集まり、フランス語が母国語の生徒たちと同じクラスで教育を受けられるようになるまで、フランス語を強化した授業が行われる特別なクラス。この映画は、パリ市内にあるそんなクラスに様々な国から集まった子供たちの1年間に密着したもの。
まず、あなたの母国語で「こんにちは」を何というのか、みんなに紹介してみましょう。という授業で、アフリカ出身の子が「アッサラームアライクム」 と言うと、ギリシャ出身の子は「それはあなたの国のこんにちはではなくて、イスラム教徒にとっての挨拶」と、ぴしゃっと切り替えす。そんな繰り返しで、私にとっての当たり前は、隣の子にとってはそうではない。ということを、徐々に知っていく。たまたまこの教室に同じ時期に集まったという共通項以外は、言葉も、信じる宗教も、何ら重ならない人生を生きてきて、パリに来た理由も、ネオナチの迫害にあいフランスに亡命してきた家族、何年も家族に会えていない中国人・・など、ほとんどが親の事情でフランスに移住してきた子供たちばかり。三者面談の場面などを通じて、彼らの背景が徐々にあぶりだされていく。クラスがまさに世界の現在進行形の縮図なのだ。
ほとんど画面に写らない担任の先生が彼らを支えていることが徐々にわかってくる。フランス映画祭では、監督に加え、この担任の先生も来日されて、上映後のティーチインに参加された。メガネの女性が先生、奥の女性は監督。
ティーチインの様子はこちら。監督が「教育とはこのことだと思った」というエピソードや、宗教に関しての議論など。
去年のフランス映画祭は、なかなか渋好みなラインナップで、女優が一人も来日せず、寂しい気分になったのだけど、この先生が壇上に現れた瞬間、今までどんな女優が現れた時よりも嬉しかった。お話を聴きながら、今まで自分が出会った私の好きだった先生を何人か思い出して、目の前にいるフランスの先生が、まるで私の好きだった先生たちの代表のような気がして、感謝の気持ちで泣きそうになった。良い先生、というのは、汎用的な存在なのだな、と、その時思った。小さい時から長いものに巻かれるつもりがさらさらなかった私は、それで良し。みんなと意見、違って良し!って言ってくれる先生に時々出会えたから、学校に楽しく通えていたのだな。だから、フランスの先生、もう、わああー!先生―!!!って映画祭の壇上に駆け寄って抱きつきたくなったよ・・・。
あなたと私は他者であって、考えが違っても、ひとつの世界で一緒に暮らすことはできる。この世界に生きる上で、「わからないこと」をみんなで議論しながら抽出しあって、こんなにわからないことばかりなのだもの、「地球」っていう名前は、いっそ「?」って名前、「わからない」って名前に変えればいいと思うわ。って、クラスの子供の言葉が無邪気で鋭かった。