朝、体温は微熱程度に下がり、大事をとってもう1日病欠。念のため近所の病院へ。風邪と軽いウィルス性胃腸炎の混じったもののようで、どちらにせよ峠は越えたらしい。向かいの薬局で薬を処方してもらいつつ、薬剤師さんも、あら、どうしちゃったの?という感じで下町らしく和んだ。
おもに外にいる生活なので、家に長い時間いることになると途端に手持ち無沙汰に…。本なども読んだそばから返却しちゃうからストックがあまりない。あ、そういえば!と図書館から借りてたDVDを思い出す。エリック・ロメール「海辺のポーリーヌ」!なぜ借りたかというと、2月は寒いから、ヴァカンス映画を観て暖をとろうと思ったから。
映画館で観て以来、2度目。1983年の映画で、ロメールの「喜劇と格言劇」シリーズの1本。冒頭で引用される格言は「Qui trop parole,il se mesfait (言葉多き者は災いの元)」。もうその通りの物語すぎて書いてるだけで思い出し笑い。ロメール、この一文から95分の映画を創れるのか…。
海辺の村にヴァカンスにやってきた、モデルのように美しいマリオンと、14歳?ぐらいのいとこポーリーヌ。海辺で偶然再会したマリオンの古い男友達、その友人の男、偶然出会ったポーリーヌと同年代の少年にキャンディ売りの女が絡み…。小さな人間関係であちこちに矢印が向くさりげない物語で、ロメールの手つきで、あらかじめそこに物語が生まれることが月の満ち欠けや潮の満ち引きに似た自然の摂理のように展開していく。あの美しい海辺で、ただ本を読み、食べて飲み、泳ぎ、語り合い、ぐっすり眠り、常に水着か軽く羽織った程度の薄着で、男女がいれば、そりゃ恋は生まれるでしょう。ロメールのヴァカンスものを観てるといつも思うけれど。
大人の都合で子供扱いされたり大人扱いされたりしてきたポーリーヌが、後半、1人で3人の男を采配し、少女の前で男たちがみるみる子供に見えていく過程、軽妙なやりとりながら、男と女の間にはやっぱりそもそも深い河が横たわっているのね…としみじみするのだけど、最後、女2人で協定を結ぶ場面、ロメールの通貫したお気に入りテーマである「パスカルの賭け」的なニュアンスも垣間見えて見事。男にも女にもそれぞれの言い分があり、誰もが主観で生きていて、俯瞰で見るとたいへん可愛らしく、どちらかを断罪するわけではない。ロメールの映画は1日に何本続けて観ても疲れなくて、だから体調悪めの今日でもすっと観られるのだけど、その理由はこういう姿勢にあるのかな、と思う。
海辺のポーリーヌ撮影中、女優に囲まれてモテモテのロメール。
そりゃモテるわ…。私も抱きつきたいもん…。