メゾンエルメス、2月のプログラムは1974年のフランス映画「眠る男」。ベルナール・ケイザンヌ監督と原作者のジョルジュ・ペレックが監督、原作という役割だけではなく2人で一緒に最後のミキシングまで行った共同作品。ジャン・ヴィゴ賞を獲ったとのこと。
20代半ばぐらいに見える、学生とおぼしき男。学期の最後の試験を終えてしまうと、1人の時間が始まった。生活費は限られてて、ベッドと本と数えるほどの洋服、ネスカフェ、練乳、電気ケトル。それぐらいのモノしかないつましい屋根裏部屋に閉じこもったり、パリを徘徊したりする。淡々と男を追うモノクロの映像とパリ。男の動きを解説する女の声。声が女、ということろがいい。男だけの話じゃなくなって。
散文詩を読みながら、頭に浮かぶイメージをリピートし続けているような映画だけど、退屈かといえばそうではない。パリにいた後半、学期の最後に試験が終わると、同じような時間が私にも訪れた。同じぐらい何もない部屋で過ごすのに飽きると外を歩き、映画館に入ったりしながら、ただ時間をつぶしていた時期があって、あれが何日、何週間だったのか時間感覚が歪んでいて思い出せない。
この男は私以上に計画性がなく、映画館にもふらっと入るようで、上映が始まった後、スタッフに懐中電灯で照らしてもらいながら座席まで案内してもらってチップを渡す場面が何度かあった。なんでもないカフェでもさもさステックフリット食べるのが好きなところも似ている。有名でもなんでもなく、日本のガイドブックには永遠に載らないような店。パリのおそろし面白いところは、こういう人が実はたくさんいるのではないか。人口のある程度のパーセンテージを占めるほどに。と思わせる何かで、主人公がある日出会って向かいに座る老いた男のように、このまま同じ日を繰り返すうちに時間が経ってあっという間に自分もあの年齢になるんじゃないか。と鏡を見る気分に襲われること。だったかもしれない。街の景観の変わらなさがそう思わせるのか。
これを観た日の自分の気分が、主人公の気分に似ていて、エネルギーの低い時に敢えて何もしないことが許される主人公が羨ましくもあった。
ロメール「獅子座」的パリうろつき系、ベルトルッチ「ドリーマーズ」的部屋閉じこもり系で、最後どう終わるのだろう?と眺めていたら、きっとこの言葉で終わるのだろう。と確信した言葉でナレーションが停まった。同じフレーズが何度も繰り返されていたけど、最後だけ、小さな変化があった。変わらぬパリの景色が、気分ひとつでグロテスクに自分に襲いかかってくるように見える途中の転換もいい。