CINEMA STUDIO28

2015-05-27

Aimer, boire et chanter




映画を観たメモ、何を書いてないんだっけ・・・と振り返ってみたら、3月に観たこの映画も書いてなかった。あれから2ヶ月、何をしていたのだろう・・(遠い目)。


わたわたした時期、この映画を意地でも観に行ったのは、私にしては珍しく前売りを買っていたから。前売りを買った理由は、岩波ホールの割引システムは強固な壁があって、前売りが一番リーズナブルだったから。そういう理由で、よほどのことがない限り、行かない映画館。


アラン・レネの遺作「愛して飲んで歌って」。





余命わずかな男・ジョルジュを巡って、女たち、女のパートナーである男たちが翻弄される。彼女たちのセリフを通してジョルジュの存在は感じられるのだけど、ジョルジュはスクリーンに登場しない。ジョルジュの葬儀の場面で終わり、最後に遺影でついにジョルジュの顔が?と思いきや、死神の絵が映されて終わったので呆気にとられた。アラン・レネのフィルモグラフィ、最後のシーンが葬儀、ラストショットは死神か。でもシリアスさはまるでなく、戯曲を映画化したためか書割の背景の前で人々は演技し、これはリアルではありません、虚構です。と宣言しながら物語は進む。マリエンバートではない場所でマリエンバートを語り、広島で何かを見た何も見ていないと語り、アレン・レネはいつも、そこにない景色、そこではない時勢を語っていたではないか。そこにいないジョルジュはスクリーンのこちらにいる自分かも、カメラのこちらにいるアラン・レネかもしれず、また誰でもないのかもしれない。


晩年の映画「風にそよぐ草」を観た時は、アラン・レネも老人性暴走が始まったのか・・と呆然としたのだけど、遺作の暴走具合はあの映画ほどではなくマイルドだった。観終わって、人は最後まで、自分の視点から逃れられないのだ、と思った。すべては本当で嘘かもね、だから愛して飲んで歌って。と歌いながら自らをまっとうし、自らの手で自らを葬ったアラン・レネの映画人生の閉じ方は、見事だった。