3月に遠足みたいに1日分の食事・飲み物・おやつを持参してイメージフォーラムに篭って一気に観たドキュメンタリー「SHOAH」についても書いてなかった…!半日ずっと映画を観た以上の体験だったのでこのポスターにある"THE FILM EVENT OF THE CENTURY"の言葉には異論なし。FILM EVENTという言葉がぴったり。
意を決してこの映画を全部観ようと思ったのは、去年「イーダ」を観たから。フレームの外にホロコーストの記憶を絶えず匂わせながら「イーダ」では直接的に語られることがなかったので、逆に正面から捉えたものを観たくなった。予備知識を何も仕入れずに、ホロコーストの真実に迫ったドキュメンタリー、というだけの理解で観たので、もっと「閲覧注意」っぽい目を背けたくなるような映像かと思っていたら違って、むしろそのような資料を使うことを意識的に避け、それぞれの人生で何らかの形であの収容所にまつわる経験があった人々の、淡々とした証言を繋いで映画は作られていた。
ドキュメンタリーは慎重に選ばないと、上映時間中ずっと感情的な人の起伏につきあわされて疲労困憊するはめになる。「SHOAH」はその点フラットに撮られているように思えたけれど、時間の長さゆえなのか、後半に従って徐々に監督の視点に疲れていった。特に第3部、第4部、淡々としたトーンが静かに変化し始め、徐々にカメラは被写体を追い詰め始める。辛い記憶を思い出したくない、と涙ぐむ人を、語ってください、と追い詰めるのは、これが歴史的な証言で、記録する価値があり、多くの人が真実を知ることを望んでいる。という大義のようなものゆえだと思うのだけど、その大義はやはり、監督が自ら設定した大義であって、私が徐々に感じた不快感はそのためだったのだと思う。誰かが、己の知りたい欲望を叶えるべく撮った映像を、私の知りたい欲望を叶えるべく観て、不快に思うなんて勝手だな、と思うあたり、私の思うドキュメンタリーの厭らしさがゴリゴリっと含まれた映画で、その点では観て良かった。
第4部に差し掛かった時、第4部を観るために第3部までの長い時間を耐えたのだな、と思ったけど、肝心の第4部、さすがに集中力が途切れてしまい記憶が薄いので、再見する機会がまた巡ってくるなら第4部だけ取り出して観てみたい。