CINEMA STUDIO28

2015-05-24

Mes seances de lutte

 
 
しばらく映画館が遠くなる時期なので、観たけれど書いていなかったものをメモしておく。4月、ルビッチ特集に突入する前、観たいものリストを着々と消していったうちの1本、ジャック・ドワイヨン「ラブバトル」。2週間限定公開のせいか、朝の回でもなかなか混んでた。
 
 
目にしていたポスターなどが激しい性愛ものを連想させたので、うららかな春の週末、朝イチからこれを観るって…と思ったけど、観終わってみるとそれほど激しくもない。家族、特に父との関係に問題を抱えた女が父を失い、動揺する自分を立て直す過程に、男が向き合う。身体を使ってお互いを知り合うのはずいぶん終盤のことで、それに至るまで、男は徹底的に言葉を使って女に自分を整理させる。じたばたした女は男に飛びかかり文字通りバトル、取っ組み合いが延々と続き…横になり縦になり床で階段でテーブルの上でもつれ合う2人の動きは、振り付けのあるコンテンポラリーダンスのよう。小沢健二の何かの歌詞で、互いに覚悟決めたらくちづけを交わそう。ってフレーズがあったけど、そういう順番だったな。頭と心をきっちり整理してから、身体に進もうではないか!という。
 
 
女はサラ・フォレスティエ。何も話さず動かず、画面にただ映ってるだけでも、目が彼女ばかり追ってしまうような存在感の女優。対する男はジェームズ・ティエレという俳優で、これまで観たことなかったはず。チャップリンの実の孫なのだとか。言われてみれば少し面影があるような…。果たしてこれだけの理性を保つ男は、世の中にどれほどいるのだろう。この映画の女ほどではないにせよ、誰でもそれなりに持っているであろう女のめんどくささに、あれだけしぶとく向き合う男がどれだけいるのか。だからじっとバトルの行く末を見守っているうちに、やがてファンタジーにも見えてくる。ジェームズ・ティエレはサラ・フォレスティエの相手役として必要十分で、彼の佇まい、眼差しなくして成立しなかった物語に思えた。