CINEMA STUDIO28

2015-08-20

清作の妻

鍬を持つ…!
釘を見つけた…!
 
 
若尾文子映画祭3本目、「清作の妻」、物騒な写真ばかり。その女の近くに尖ったもの置いちゃダメ!
 
 
あらすじを引用。
 
 
「戦争を背景に、愛する夫だけに生きがいを見出し、それ故に常軌を逸した行動に走る妻を描いた秀作。孤独な女性が、ようやく真の愛を見つけて結婚した矢先、夫に招集命令が下され…。この世への恨み辛みを湛えた若尾文子の表情は、抑制された撮影と照明で一際の異彩を放つ。」監督は増村保造、脚本は新藤兼人、1965年の大映映画。
 
 
夫役に田村高廣、と目にして、あら大丈夫かしら。と危惧したのは、私にとって何故か印象に残らない俳優の筆頭だから。木下恵介監督の映画にたくさん出ている印象があるけど、たくさん観たはずなのに木下作品の印象自体、まるっと映画記憶から抜け落ちているのは、もしや田村高廣が出ていたからなのでは…と思うぐらい(まさかの戦犯扱い)、心に何も引っかからない人なのだ。
 
 
小さな農村の青年会長のような役で、はい!きました!田村高廣といえば清潔で好青年!何しろ記憶に残ってないので、過去にどの映画で田村高廣がそんな役を演じたかすら覚えてないのに、そんな男ばかり演じてる印象だけはある。田村高廣、戦地に赴いていた時もコツコツお金を貯め戻って来た頃にはひと財産になっており、それで何をするかというと重そうな小さな鐘を手に入れたらしい。鐘…?何のために…?というと、村の小高い丘の木に鐘を吊るし、鶏より早起きしてガンガン鐘を鳴らす。驚いた村人たちは丘の上に駆けあがって行き大集合。田村高廣が言うことには、これからは村全体で早起きして朝から農作業をするのだ。規律正しく仕事をし安定した収穫を得るのだ。と仕切る仕切る。イヤだよこんな正しい男…と、椅子に斜めに座り直し画面を見つめる私。
 
 
しかし「清作の妻」は増村保造ドロドロ系の系譜の映画、田村高廣がエンドマークまで無傷でいられるはずもなく、あろうことか村八分にされている若尾文子の色香に惑わされ、熱情の餌食に…。素晴らしい!こんな田村高廣を観たかった!最後には「正しく生きていただけでは気づかなかったことに気づいた」的な台詞も引き出して田村高廣、ナイスキャスティングじゃないの!若尾文子、good job!と仕事っぷりを讃えたい。
 
 
そして、この映画を観る何週間か前に、午前十時の映画祭で観たばかりの「ライアンの娘」を途中ちらちら思い出していた。村の中での主人公女性の置かれた立場や、恋愛の道行など筋書きは違うけど、背景に戦争があること、古い村の因習に激しい女が風穴を開けていくところ、女と出会うことによって男も変化していくところなど、シンクロするところが多いな、と思いながら観た。
 
 
私にとっては「ライアンの娘」と紐付いたことで「清作の妻」の印象も増し、ようやく田村高廣のことを覚えられた記念として我が映画の記憶の蔵にめでたく収蔵される映画になった。