市川崑の映画の、例えば「ぼんち」の一場面。日本家屋を真上から撮り、画面上半分は屋根、下半分は道路、真ん中にすっと直線があって。若尾文子が登場する時、直線の下半分にすっとピンクの番傘の丸が登場して玄関の位置まで移動する。こういったグラフィカルな場面が連続することに目が歓び、そして直感的にオークラのロビーを思い出していた。オークラのロビーにいると市川崑の映画を思い出していた。目に映るイメージと記憶が手をつなぐ。
この夏、いろんな人といろんな話をした中で、驚いたのは生まれも育ちも京都、生粋の京都人の友人が、南禅寺にも仁和寺にも行ったことないねん。と言ったこと。「え!…さすがに清水寺は?」と尋ねたら、「だいぶ小さい時にたぶん行った。遠足やったかなぁ…」と。しかし驚いてる側の私も似たようなもので、法隆寺や唐招提寺に行ったのはここ数年のこと。地元の人ほど行かない、ということに加えて、何百年、千年と守られてきたものだから、自分が生きている間になくなることはないし、急いで行くことはない。という古都ならではの感覚だろうか。取り壊されるオークラ本館に盛大に人が集まり、別れを惜しんだり写真を撮ったりしているのを見ると、This is Tokyo! 東京らしい風景だな、と思う。新しくなるために古いものを壊す、現役の都。
美しい意匠が丁寧に手入れされ、現在まで残ったのは、52年もの間、東京を訪れた人たちや東京に暮らす人たちが愛で、讃え、消費し、忘れ難い時間を積み上げてきたからだろうと考えると、現役の都人としての東京の住人としての私は、2019年、新しく出会うオークラの新しいガラスや木材や金属や射し込む光を愛で、讃え、消費し、忘れ難い時間をまた積み上げていこうではないか、という気持ちで今日はここにいた。