何年ぶりかわからないほど久々に、世田谷文学館へ。前にここに来たのは、いつのことだろう・・。桜の花びらが鯉の背中に落ちてた。
混んでると聞いたので朝イチで行くつもりが、蓄積疲労に負けて朝寝。ごろごろしながら行くのやめようかな・・と思ったけど本当に行ってよかった。
最初に読んだのは90年代前半、漫画好きの人の部屋で薦められて。でも、その時はピンとこず。東京に引っ越して新宿に住んでた時代にハマって、たくさん単行本を持ってたなぁ。トップスビルの8階にあったユイットというカフェによく通ってて、応接間の延長みたいに人とよく待ち合わせしたりしていた。たしか2009年、ユイットが閉店すると知って最後に1人で行くことに決め、何か本を。と、本棚から選んだのが「リバーズ・エッジ」だったと思う。集中力がないのでカフェなどで本を読めないほうなのだけど、読み始めると止まらなかったのは、きっと物語の引力。読み終わって本を閉じお会計してユイットを出たら、新宿時代とでも呼ぶべきか、自分の第何章だかが本を閉じるようにパタンと小さな音を立てて終わった気がした。それから半年ほどで持ち物を整理し、岡崎京子の単行本も処分して新宿を引き払った。
最初に読んだときピンとこなかったのは、東京に住んでなかったからではないかしら。と、たくさん並んだ原画を見ながら、はじめてそう気付いた。どの街に住んでいる人の心でも引き込む握力のある作品群だけど、地名や店の名前、街並み、圧倒的な喧騒と背中合わせにある退屈さは東京に暮らしてみないとわからない種類のものも含まれていた。
小学校の卒業文集が半分開かれた状態で展示されていて、頭を傾けて読んだ。1年生の頃と何が変わったのだろう。教室が変わっただけで何も変わらない。女の子のほうがませていて、男の子はエッチなことを考えるようになった以外は子供のまま。などと書いてあり、もうそれは、岡崎京子が雑誌に寄稿するためにテーマを与えられて書いたような文章そのままで、卒業文集という場があまりに不似合いな文章だった。あの文体は持って生まれたようなもので、小さい時から岡崎京子として完成されていたのだなぁ。
この日記は必ず映画について何かしら触れることにしているので映画について書くと、「ヘルタースケルター」は映画館に観に行った。水原希子は本当に岡崎京子の漫画から抜け出てきたような顔をしているなぁ。と思い、沢尻エリカの、若さが美しさを後押しする最後の瞬間ギリギリの、崩れ落ちそうなタイミングの美しさが、そのギリギリ感と共に映っていることが、役柄にとても似合っていた。酷いところもたくさんあったけど、その2人が岡崎京子のキャラクターを演じるのを観るだけでじゅうぶんだった。
出かける前に身支度をしていて、冬の服と春の服が入り混じる中、無意識に手にとって身につけたのが黒い服で、パールのピアスなどもつけ、あ、これはどういう気分。もしや追悼気分。いやいや。と、pinkの靴を履いて気分を修正した。限られた時間がどんどん仕事で埋まる中、伊勢丹に這うように辿り着き洋服を買ったり、花を買ったりする時は今でも「お金でこんなキレイなもんが買えるなら、あたしはいくらでも働くんだ」ってユミちゃんの台詞が頭をよぎる。
31日まで。この日記は続く。