金子國義さんが亡くなられた。
思春期の終わり頃、彼の絵のような世界に傾倒する時期が、女性の通過儀礼のように存在するのでは。と思ってるのだけど、どうだろう。私はそうだったけど、周りに尋ねてみたことはない。
2012年12月、オーディトリウム渋谷で「金子國義スクリーン vol.1」というイベントがあり、「妻は告白する」の上映後、若尾文子さんが登壇して金子國義さんと対談する、という豪華さだった。
金子國義さんは大の若尾ファンで、チラシによると「作品を繰り返し鑑賞。彼女の作品音声を録音しアトリエで聴きながら作品創作する程に耽溺しているという」。会場入口には、チラシの絵の原画が飾られていた。びしょ濡れになった若尾文子が思い詰めた表情で若い愛人の勤め先に現れる。クライマックスと呼べるこのシーン、なんと撮影の最初に撮られた、とこの日の対談で知って驚いた。
金子國義さんは長らくの憧れの君を前にして舞い上がったのか、何度も同じ話がループし、ことあるごとに「私は…ほんとうに…あなたの…大ファンなのですよ…」と繰り返した。お酒でも飲んでいるの?って思ったけど、あれは若尾さんに酔っていたのだろう。酩酊状態であることには変わりがない。
このイベントは「ファムファタール 女優 若尾文子」と名付けられているのだけど、他の映画は別にせよ「妻は告白する」の若尾文子の、どこがファムファタールなのだろう。愛人に走って夫を殺すことは確かに悪い女の振る舞いだけど、ファムファタールはあんな表情で男を追い詰めたりしない。男を翻弄しているようでいて、翻弄されていたのは女のほうで、激情型の女が不器用ゆえに事態を狡猾にやりすごせなかっただけの話ではないか。
と、私は長らく思っていた。けれども、激情型の不器用な女をファムファタールと形容し、崇拝して絵まで捧げる。それは男の優しさというものかもしれず、最近あの対談を思い返してみて、白黒ばっさり斬り捨て振り返りもしなかった何かにようやく触れた気がしている。
「金子國義スクリーン」はその後シリーズ化されたのか、続きがあったのかは知らない。金子國義さんが他にどんな映画を、女優を好きだったのか、もっと聞いてみたかった。