ああ、映画館に行きたい・・・。休日仕事の息抜きに書いてる。シネマヴェーラでのミュージカル特集、どれもスクリーンで観たいものばかりだったけど時間を捻出できず「鋪道の囁き」1本にしぼって観た。
ヴェーラのサイトから。
「アメリカの音楽ダンス映画の日本版を目指して加賀四朗が独立プロで製作した意欲作。アメリカで修行して帰国後のダンサー中川三郎と、来日した日系二世ジャズ歌手ベティ稲田のコンビを主役に、ダンスホールでのオーディション場面などを通じて2人のタップ・ダンスとバンドのジャズ演奏を見せる。戦前殆ど唯一の本格的なアメリカ流音楽ダンス映画。」
集中力不足か、映画的説明の不足か、アメリカ帰りの歌手が何故、興行を嫌がって身一つで家出のように飛び出していくのか、肝心なところを掴めなかったのだけど、この映画が目指すアメリカ流音楽ダンス映画を観た経験値から、そんなのどうだっていいじゃないか、わからなくてもそのうち辻褄あうだろうし、最後には音楽とダンスがあればオッケーという気分にさせてくれろうだろう、と眺めていると本当にそんなふうに終わった。
女が身一つで出ていく、逃げる、そんな映画が好きで、この映画もベティ稲田が身一つになってからが本番だった。文無しながらお腹は空いて、太陽軒ミルクホールという店に入り、軽食と珈琲を美味しそうに食べるのだけど、食べ終わると支払えずグズグズし、心ないウェイターに雨の中、投げ出される。罵り言葉が・・・「この西洋乞食!」だったので、びっくりして心にメモ。
「乞食」という罵り言葉に、罵りの意味はない「西洋」を加えるだけで、いきなり新語の発明。「泥棒」に、「猫」を加えた「泥棒猫」に似た響き・・・!聞き慣れない言葉を聞くと細胞が興奮する私はこの一言でぐっと引きずり込まれ、そして雨に濡れた歌手に手を差し伸べるダンサーの麗しさにさらに目が覚めた。ノーマークだった、中川三郎。本職はダンサー。明日にでもルビッチ映画に出演できそうなルックス、身のこなし、日本の30年代にもこんな俳優がいたのね。戦前の小津映画にルビッチの影響を感じられる映画は何本かあるけど、登場する俳優たちは中川三郎ほどの頭身や身のこなしは持ち合わせていなかった。
雨の中2人は警官に怪しまれ、夫婦のふりをして逃れ、「太陽アパート」という男のアパートへ。銀座一丁目だって。売れないダンサーなのにいいところに住んでるね!と思ったけど、絶賛家賃滞納中とのことで、納得。歌手にベッドを譲り、ダンサーはソファでという「ローマの休日」スタイルで眠るのだけど、外では洋装だったダンサーが、着替えた部屋着が和服というギャップにもう陥落しそう。ポマードで撫でつけた髪はそのままで眠ってたけど、起きると髪にべったり埃がついてるのではないかしら、と好きなタイプだとつい余計な妄想する癖を発揮。
ダンスホールでのオーディションを経てやがて彼らの芸に光が当たり、ダンサーを巡る恋模様も最後にはおさまるところにおさまってエンドマーク。最後のダンスシーンの衣裳、アステア&ロジャースに目配せが効いていたように思う。
この映画は加賀プロダクション第1作、プロデューサーの加賀四郎は加賀まりこさんのお父さん。上映後には加賀まりこさんのお兄さん・祥夫さんや、中川三郎さんの娘さん・弘子さんが登壇され、それぞれの父親が参加したこの映画についてトークがあった。当時ジャズは敵国音楽とみなされ、加賀四郎さんは押入れでレコードを聴いていたこと。タップダンスのステップがスパイの信号と見做され連行されるなど逆風の吹く中、映画は一度も上映されないままお蔵入りになっていたのが、何故かずっと後に唯一のプリントがUCLAで発見され日本に帰ってきたという。弘子さんはお父さんから、ダンスだけではなく演技もした、映画に出たと聞かされていたけど、実物が存在しないので嘘だと思っていたが、お父さんの存命中にフィルム発見が間に合い、一緒に観ることができたそう。当時、中川三郎は19歳(!)と若く、役柄にあわせて生え際の毛を抜くなど痛い思い出があったそう。あのポマードこってりの髪型にそんな秘密が・・。
「鋪道の囁き」が日の目を見ていたら、そして30年代でなければ、中川三郎主演のミュージカル映画がたくさん作られて、アステアのように語り継がれる映画スターになっていたかもしれない。遠い目でそんなことを考えつつ、ただの珍しいもの観たさだったけど、無事に観られてよかった。これから好きな俳優・日本人部門は川口浩ならびに「鋪道の囁き」の中川三郎の2名、ということで。タキシードに撫でつけた髪、身のこなしが綺麗な人は素敵。
略歴はこちらに。「ダンスは、音楽を通した、歩く会話である」