CINEMA STUDIO28

2016-03-07

死に体のiPhoneのメモから

 
 
年明けに予約していたものを3月に受け取る。自分のための買い物でも、箱に入れてリボンをかけてくれるお店、嬉しい。実物を見ずに予約したのでドキドキしたけど、開けてみると実物はさらにドキドキする儚い美しさで高揚した。
 
 
現在使ってるiPhone5がもはや死に体、今月発表される新作がサイズも小さいらしいので手に入れようと思ってる。契約するのにいちいち2年縛られることをこれ以上考えたくないのでSIMフリー化も検討。とても手が小さいので小さくて機能性の高いものが好きなのだけど、財布にしろカメラにしろ、大きなサイズのものをホールドできない、握力も足りず持てない、長財布など持つ能力がないと言うと、なかなか信じてもらないけど事実。左利きでもあるので道具類を選ぶのはいちいち吟味が必要になる。だいたいの道具は私より手の大きい右利きの人用にできてると思う。
 
 
話がそれまして。映画祭や監督トークで紙とペンを持っておらず、死に体のiPhone5のメモに記録した言葉がいくつかあったので整理がてらメモ。
 
 
「ハッピーアワー」の東京初日、半日かけて1本の映画を観て、下北沢のB&Bに移動して濱口監督のトークを聴き、トーク自体はあまり面白くなく、B&Bの雰囲気も苦手でどっと疲れ、辛辣だけどトークって話し手より聞き手の人選が何より大事なのだなぁ。自分自身に置き換えても同じで、会話が思うように弾まない時って相手のせいにするのは簡単で、案外こちらの問題ということは多いね、と自戒も込めてそう思った。しかし監督の言葉は時折ハッとするものがあった。
 
 
「ハッピーアワー」以前の映画、ドキュメンタリー?を撮っている時、被写体の人の言葉、「恥とは自分を吟味する者だけが持つ本能」という言葉が印象に残っているそうで、「恥を捨てて演技されると、違う。自分自身が何者かということを演じる側、演じさせる側が吟味しあう。カメラの前に立つことも吟味で、それはあらゆる人に見られるということ。これが自分自身であるということなしにカメラの前に立てない」とのこと。「ハッピーアワー」はプロの俳優ではない、演技ワークショップに集まった普通の人々が演技をする映画だったからか、演出する人にも俳優たちの覚悟にも興味を持ったばかりだったので、これは…!とiPhoneにメモ。演技、映画のカメラの前に立つこと以外の何にでも応用して考えられること。
 
 
それから濱口監督の映画は乗り物、ロープウェーや電車、自動車が頻繁に登場することについては、映画は「活動写真」なのでスクリーンに動くものが映っていることで映画らしさが出てくる。低予算の映画の場合、人を固定してカメラを動かす、ということは予算上難しいので、公共の乗り物で撮影して、窓の外の景色がどんどん動いていく、という場面を撮っている、という話も面白くてメモ。なんだか映画誕生期の観客のような、人間の本能に訴えられるような話。
 
 
乗り物といえば「ハッピーアワー」の私的クライマックスは物語が大きく動く第3部ではなく、第2部の終わり、フェリーに乗る純さんに、青年が「ありがとう」と手を振る場面だった。港を離れて出発していくフェリー、手を振ること、動くものがスクリーンに同時にいくつもあったから心も動いたのかな。
 
 
濱口監督トーク以外に、フィルメックスでの侯孝賢トークのメモも入ってて、iPhoneのメモ、豪華だわ。死に体だけど。