一部のドキュメンタリーを観ている時に感じる、ずかずか他者の領域に土足で踏み込むような態度が苦手、と書いたのだけど、
これまで観た中で、その点で苦手だったのは新藤兼人監督「ある映画監督の生涯 溝口健二の記録」だった。今よりもっと他者への寛容度の低い10代の頃に観たからかもしれない。
溝口健二と共に映画をつくった多くのスタッフ、俳優たちに新藤兼人が直接インタビューする。時折、で、あの噂はどうだったんですかね?と問いかける。溝口健二と田中絹代って本当のところどういう関係だったんでしょうかね。誰も確信めいたことは言わない。そしてついに終盤、真打登場。カメラの前で姿勢は崩さず、けれど心を泳がせながら執拗な質問をかわす田中絹代を新藤兼人はさらに問い詰めて…。新藤兼人…週刊文春が人間の形を纏ったような男…。目の端に涙を滲ませる田中絹代を見ながら、人を泣かせてまで知りたい真実なんてこの世にあるのかな、と思った。
問い詰める口調が、お前あいつとつきあってんの?と囃し立てるにきび面の田舎の中学生そのもので、以来新藤兼人の名前を目にする度、田中絹代の表情がフラッシュバック。あのドキュメンタリーは一度観たきりで、あのおっさんが作ったというだけで新藤兼人監督作も避け気味だけど、他の監督作で脚本・新藤兼人という組み合わせの場合は無視できない。悔しいけど面白い映画ばかり。こんな物語を書くのは観察眼鋭い男なのだろう、と、ドキュメンタリーを観ていなければ好き勝手妄想できたものを。そして田中絹代を問い詰めたのと同じふてぶてしさをもって、切れ味鋭いフィクションのセリフを書いているのだろう。
ずいぶん前に観たドキュメンタリーの不快感を今も覚えているのだから、嫌いということは、好きと同じかそれ以上に、記憶に残る、強い感情なのだな。